いつもの違う裂けた箇所
スパニッシュチェアの座面ベルトの裂け補修は定期的に依頼がありますが、今回の補修はいつもの固定ベルトと初めての箇所。
定番の補修は別パーツになっている固定ベルトの穴で裂ける案件ですが、今回はそれとは別に本体側でも裂けてしまっています。
定番の固定ベルトの裂け
美錠金具で固定する位置でしばしば裂けます。もし穴が痛んでいたら裂ける前に固定する穴をずらして使用したほうが延命できるかもしれません(左右均等に)
こちらが今回初めての補修箇所になる座面本体側の裂け。座面本体側で裂けた事例というのは今までありませんでした(背面パーツではありました)
座面本体側の裂け
固定ベルトに繋がる本体側で裂けています。先の別パーツになっている固定ベルト部分であれば、その箇所だけ取り外して交換ができるのですが、本体側が裂けてしまった場合はどう治すか・・。
裂けた部分は椅子のフレームにセットすると角になる部分。角になるので折り曲がり、負荷が掛かりやすい位置です。
フレームの角材に巻きつけるようにセットするので、上下の2箇所が角になりますが上部の角もやや傷み始めています。
裂けた箇所は革が1枚のみになっている部分。負荷が加わりやすい位置なのに何故1枚?という感じですが、恐らくフレームに添わせ易くしたかったのだと思います。角材に巻きつけるような構造なので、革が2枚合わさっていると使い始めは硬く、角に収まり難いからなのだと思います。
使い始めの収まり易さをとるのか、10年、20年後も考えての耐久性をとるのか・・・。
この椅子の修理を初めて依頼された時には存在を知りませんでしたので、どんな椅子かネットで検索すると、その当時で50万円ぐらいしていました、今はというと・・・約100万円!(恐るべしインフレと円安)1958年発売当時はいくらだったのだろうかと。
椅子一脚が50から100万円するのであれば、それ相応の使用期間を想定した作りになっていて欲しいところではありますが、ただ皮革製品なので使用される環境や、日々のお手入れ具合で寿命はかなり変わってきます。
現に依頼されるほぼ全てのスパニッシュチェアの座面と背面パーツは、乾燥しひび割れている状態なので単純に構造(強度)だけの問題ではありません。
弱い部分
左側の革が1枚の箇所が今回裂けた本体側、右側が固定ベルトで本体側の革を上下で挟み込んでいる構造です。
裂けた中間部分は革が1枚になっているのがわかります。
左側の本体座面は負荷の掛かる端には革が二重に施され、座面部分も帆布を貼り合わせ、それぞれ補強されています。裂けた位置はその中間で革が1枚のみの範囲、この部分をどのように補強し補修するかが今回のお題です。
将来のランニングコスト
補修方法としては二つ
- 繋がっている別パーツの固定ベルトは再利用し、裂けた中間部分のみを補強する方法
- 革が1枚の座面側の中間部分から別パーツの固定ベルトまでを一体化する方法
補修費用は、❶より❷の方が掛かります。
別パーツの固定ベルトを観察すると、すでに状態はあまり宜しくありません。ひび割れも始まり固定穴周辺も痛んでいます。このベルトを再利用しても後に裂けてしまうと予想できます。
今回、❶の中間部分のみを補強する方法で行った場合、再利用したベルトが後に裂けると、その時には結局一体化させて補修することになります。であれば、今の段階で❷の一体化させて補強してしまったほうがランニングコスト的には節約できるかと思います。
トータルコストの比較
今のコスト❷ < 将来のコスト❶+❷
ちなみに、座面全体の状態が悪いのであれば部分補修ではなく座面自体を新規で制作してしまう、という選択肢もあると思いますが、革の調達と制作時間の確保の問題で現在は行っていません。
まずは型紙を作り補強する範囲を決めます。中間部分から固定ベルトまでをトレースします。
中間部の革が一枚になっている箇所は全て革が二重になるようにします。なので座面部分の縫製も一部解いて裏革を差し込む設定です。
裂けた箇所が別パーツになっている部分であれば作り替えればいいのですが、今回は本体座面側で裂けているので継いで補修するしかありません。
継ぐ場合もなるべく使用する際に見えない位置で継ぎたいので、フレームに固定した際に下面になる位置でと思いましたが、裂けた位置より上部に亀裂箇所があるので、そこより手前で補強する必要があります。
継ぐ方法は革を互い違いに漉いて合わせることで元の1枚の厚みになるようにします。
革包丁で漉く時にはガラス板の上で加工します。漉き加工は平板な硬い台上で行わないと包丁を入れた時に革が逃げてしまいます。
革を貼り合わせた状態。明るい断面が今回の補強革。おもて面は互い違いに革を漉き加工し繋いでいます。裏面は座面本体側まで差し込んで貼り合わせています。差し込む部分も革が重なるので端を漉いています。
菱目打ちでピッチの印をつけて、菱ぎりで穴を貫通させ縫製していきます。貼り合わせた革は場所により6.0から8.0mmぐらいあり硬いので、上半身を使って菱ギリに体重を掛けて垂直に一目づつ貫通させていきます。
通常は菱ぎりの根元まで刺しませんが、縫製する糸もオリジナルに合わせて太い為、表から裏まで均等に穴を貫通させないと糸が通らず縫製できません。(オリジナルは極厚用のミシンで縫製されています)
サドルステッチで手縫いしていきます。
固定ベルトの手縫い縫製風景
固定ベルト一体化
革は数ヶ月かけて作られる栃木レザー社・ピット鞣しのヌメ革を使用しています。恐らくオリジナルより革質は良いのではないかと思います。オリジナルの革のように経年によりエイジングされ革の色は徐々に濃くなっていきます。
いつもの固定ベルトの交換であれば座面裏側なので全く見えないところですが、今回は座面本体側から継いでいる為、フレームにセットした際には側面に継いだ境目がわずかに見える位置になります。
使い始めはヌメ革の色の違いが気になるかもしれませんが、何年か後には修理したことも忘れ、継いだ箇所も馴染んでいるかと思います。
下の画像は左が今回の補修で使用したヌメ革(厚みは違いますが)を使い、7年前に制作した私物の文庫用ブックカバー。右は経過前(今回)の状態。
ヌメ革のエイジング経過状況
通勤の行き帰り合わせて30分程度、電車内で本を読みますが、それでこのぐらいエイジングして色艶が濃くなります。
電車内以外は鞄に入ったままなので陽に当たりませんが、ヌメ革は陽に当たらなくても革に含まれるタンニンが空気中の酸素?と反応し酸化し色が濃くなっていきます。(なので比較対象のヌメ革も梱包して仕舞っていますが仕入時よりも色が濃くなっているはずです)
スパニッシュチェアはリビングなどに置かれていると思いますが、窓から差し込む日光(紫外線)で、より短期間でエイジングされ補修箇所も周囲と馴染んでいくかと思います。
革が一枚だった弱い中間部分には裏革が追加されています。下の画像で座面裏には全面帆布が貼り合わされているのが分かると思います。フレームに巻き込まれる部分には貼られていません(革が1枚の状態)。これ、どうせなら巻き込まれる部分まで帆布を貼り込めば補強になるのに、と思う次第であります。
座面から固定ベルトまでを一体化。
表面の継いだ革・座面側オリジナルの革・裏面に追加した補強革、それぞれが互い違いに組み合わさっています。継いだ革が重なり過ぎて厚みの違いが局所的に生じると、今度はその位置が起点となり傷み易くなるので、それぞれ継いだ革の境目をずらすように組み合わせています。
美錠に固定した状態。
こちらはいつもの固定ベルトの交換補修箇所。今回はベルトの一体化補修についての記事なので、固定ベルトの交換については関連記事を参考にして頂ければと思います。
背面パーツも今回のように本体側で継いで補修したことがあります。背面パーツの裂け補修も稀です。
革は天然素材なので、たまたま革質が良くない部分に当たってしまえば、通常では耐えられたものが裂けてしまうことがあります。スパニッシュチェアのように革を大きく使用する場合には、そのような箇所に当たってしまう確率も高くなります。
なのでこの製品の場合は、座面裏の帆布や部分的に裏革を組み合わせることでそういった確率を下げています。しかし固定ベルトは革が2枚に合わさっていますがよく裂けてしまいます(ある程度の期間を使用しているので仕方がないところでもありますが)
これはせっかく革を2枚合わせにしているのに、しっかりと接着剤で貼り合わされていない為、伸びてしまい易い状態になっているかと思います。
裏表をしっかり貼り合わせるだけで革の伸び留め補強になります。特に固定ベルトは一番負荷が掛かるパーツなので、貼り合わせは必須ではないのかと思います。
一脚100万円で販売するならば、私なら接着ぐらい(それ以上)はするだろうな、と思う今日この頃です。